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4/6

 なんとなく疲れている。理由はわかる気がする。求められている反応が既に決まりきっている駆け引きをされると疲れる。自分の価値を感じられないままに相手の価値を上げなければいけない気持ちになるから? それとも求められる反応が上手にできないから? その両方だと思う。つながりすぎているし、つながることによって生じる不快感にうまく対応できない。だからといって静かにしていることもできないのは、相手の反応のなかに本当の自分を探そうとしてから回るからだ。嫌われたくないから、返事をするし、嫌われたくないから、眠くても疲れていても無視ができない。優しいわけじゃなくて怖がってるんだと思う。自分に自信がないんだと思う。本当に求めているものって、言いたいことってなんなんだろうと思う。それに素直でいても、嫌われてしまう気がする。別に何かをしてもらいたいわけでも、言われたいわけでもない。でも求めないことで可愛くないと思われるのは嫌だ。結局一緒にいてもいなくても、何か反応を、答えを求められ続ける限り苦しいんだと思うし、どっかで無理している。考えすぎなんだと思う。過敏に反応しすぎだ。遠くに行きたい。反応を求められるのが嫌だし、反応を求めるのが嫌だ。

3/31

もやもやしている。罪悪感を勝手に感じて、休日なのにうーんと悩んで、時間を台無しにしてみたりしている。こんなことがいいはずない。結局嫌われたくないだけだ。自分で選択してそうすると決めたのであって、誰かに強要されたわけじゃないのだから、もし悪い結果になっても自分で責任を取らなきゃいけない。悪い結果にならないように、わたしが困らないように、わたしのせいで誰かが傷つかないように、行動するしかない。言動は慎重にしなくてはいけない。もやもやもやもや。大丈夫!上手くやれるよ!って誰かに責任取ってほしい。自分で取るしかない。頑張る。自分で選んだことだから。大丈夫。自分のこと大切にしよう

3/29

 知らない間に3月が終わろうとしている。3月は別れの季節だけど、3月のことが嫌いじゃない。領収書書いてくださいのときに29日と書きながらとても驚いた。永遠に果てがなかったはずの春休みが終わってしまう。近所に鳥貴族ができたので友達と飲みに行った。同級生がたくさん飲みに来ていて、みんな考えることは一緒なんだなと思った。友達はタラレバ状態になっていて、つまり早坂さんみたいな彼氏がいながらもKEYくんみたいな男の子が気になっているらしい。楽しそうで何よりだった。割り勘にする彼氏ってどう思う問題が浮上した。優しい女の子と飲みに行くと避けて通れない問題だ。学生と正社員、フリーターと正社員などのカップルにおいては、学生側やフリーター側が女子である場合は割り勘は負担に感じるのはやむを得ない。それでもこのケースは周囲で跡を絶たない。どうなんですかね。女の子がデートを負担に感じてフェードアウトするならそれもまた一興、モテたくてお洒落したり美容院行ってるお金があるなら目の前の彼女に奢ってあげた方が、大切なものを失ってから大切さに気づく可能性は減るんじゃないでしょうか。彼女側の気持ちしかわからないけど。今日鳥貴族で彼女がトイレに行ってる間にお会計済ませてる彼氏は確かにカッコよく見えた。鳥貴族でもラーメンでもいい。女の子にとっては「大切にされてる感」ってめちゃめちゃ大事である。大切にされてる感があるのに、なんだか不安にさせられる男の子は、むかつくけどモテてしまうと思う。ただしイケメンに限らず。

 前の喧嘩でわたしは彼氏のiPhoneをぶん投げ、破壊した。たぶん怒ってたんだろう。わかる、怒られ返されるの、わかる。それでもその話を蒸し返されたくないのがわがままなのも、わたしが悪いのも、わかる。でも人は罪悪感を感じさせる相手に対して不快感を感じる。悪意がないのに蒸し返す人がたまにいる。駆け引きにおいて優位に立ちたいのか、ただ責めたいのか、わからないけど、気持ちはわかる。浮気とかされたら、言い続けちゃうの、わかる。でも大体その先待っているのは「いや、もう反省してるって言ってるじゃん。俺のこと信用してないんだね、別れよ」なので、そんなことしてはいけない。別にわたしが別れようと思っているとか、反省してるっつってんじゃん!許せや!と思っているとかではないんだけど。なんとなく上手にできないなあと思う。

3/26

 特になんでもない退屈な1日を過ごした。原因はわからないけど睡眠が浅くてずっと夢を見ていて、寝た気がしないので昼近くまで布団のなかにいたけれど結局十分には眠れなかった。雨が降っていて、何もやる気が起きなかったけれど、友達の誕生日プレゼントを買いに出かけた。バイパスはその先にあるららぽーとのせいで渋滞していて、とても駐車できそうになかったので、買い物は諦めてお寿司を食べに行った。

 なんでもない退屈な1日を悲しまずに過ごせるのはいろいろなことに満足しているからで、昨日の同じ時間は悲しい気持ちでいっぱいだったなあと思う。きっとご飯が食べられなくても悲しい気持ちだし、生活する場所がなくても、友達と喧嘩していても、仕事がなかったり学生でなかったりしても、悲しい気持ちになるんだろう。ふとした失敗でなくす可能性があるもので、でもまた取り戻せる可能性もあるものだ。持ち物が最初からたくさんあったら、それがあるのが当たり前で、維持するのにいっぱいいっぱいになってしまって、それでいてひとつなくすだけでパニックになってしまう。そうやってわかってるはずなのにスケジュール帳の前でうーんと腕を組んでどうやって埋めるか悩んでいることがよくある。そんなとき、自分がとても退屈な種類のひとだなあと思い知る。今日のトマトのパスタはとても美味しくできた。夜ご飯は回転するお寿司で、ヨックモックのクッキーもたくさん食べた。マニキュアが剥げかけている。アメトーークのセーターフジモンが面白すぎた。

3/25

 彼氏と仲直りした。朝はなんでこんなつまらない世界におはようしなければならないんだろうかとか考えて起床が苦痛で仕方なく、バイトに行くのが気が重かったけれど、つまらなくしてるのは自分だし、優しくしてくれた相手に優しくできないなら他人に優しくするしかないような気がしていたら4時間半のシフトはすぐ終わった。帰ってきてTHE世界遺産スコットランドの鉄橋を観ながらぼろぼろ泣いて、沖川東横先生の恋愛日記を読んでいたらいつの間にか元気を取り戻した。傷心旅行にインドにでも旅立とうかと思ったり、ボランティアのことを考えたりして夕方再び出勤したらつれないメールが来て、つれない電話が来て、いつの間にかつれなくなくなって、仲直りした。あ、いないと死ぬんだなーと思った。確実に心が死んで行くのを感じた。別に優しくしたくなくて優しくされていないわけではないのはわかる。わたしがもっと相手の気持ちに寄り添えたり、長期的な時間軸で物事を見られたりすればいいのに、自分のことばっかりで、目の前の不安や憤慨を解消したいばかりに相手に感情的なことばを吐いてしまうし、感情的な行動をしてしまう。先々週のiPhone破壊事件がいい例だった。昨日ホスト狂いの女の子と食事に行って、話を聴いて感動した。「わたし担当の前では泣かない。それだと相手が責められてるって思っちゃうから」。何百万も貢いで、挙句なにか傷つくことをされても泣かないと決めているその子に比べて、別に貢いでもいないのに気に入らないことがあると言わずにはいられなくなって、言いたいことが言えるのがいい関係だと勘違いして、不安とか憤りを解消してくれるのが恋人だと思い込んで、大して役にも立たないし癒しにもなれていないわたしが、ちょっと傷ついたり気に障るとわんわん泣く。そんないつ爆発するかわからない、どこに埋まってるかもわからない地雷原を歩かされる彼氏の気持ちを考えるととんでもない不幸。わたしは生まれ変わる必要性に駆られている。感情をコントロールする必要性である。あ、今傷ついたぞ!と思ったら脳内で日記をつけることにしてみる。効果があるのかは謎。あのねー、ねえねえ、あとね!を多用する話し方をしてしまうのが好評なので、メモ。大して面白くない話をたくさんして、聴いてくれる人がいると、安心する。

3/24

 彼氏と一週間くらい音信不通です。最近仲が悪くて、喧嘩を発端に連絡がなくなった。感情的になったわたしが悪いのかなー、一人になりたいんだろうなー、と思っていたので静かにしていたけれど、友達の「意地を張り合ってるだけじゃない?」と、その他諸々の要因で様子伺いをしたけれど無視されているので、このままフェードアウトもあるかなあ、と思う。まあ、感情的になりやすい部分を直さなければ誰とも上手くいかない。母親に似ている。母親の感情的な部分を思い出して、ああ、一緒にいたくないなあと思った。そんな彼女嫌だな。仕方ないな。仕方ない。自分の隣に誰もいないことを自分に対して釈明するしかないのがとても悲しい。悲しいけど、悲しい時に一人だとつらくて仕方がないのでこの一週間ずっと友達といる。でもこの悲しいのを誰にも上手に説明できないし、誰も聞きたくないだろうし、誰かの反応に期待して落ち込むなら同じことを繰り返しているだけだなと思う。加島祥造の求めないを読んで、求めないって難しくて、求めないってすごくいいんだろうなと思った。求めないって苦しいけど、求めてなにも得られないよりずっといい。求められる方の苦痛も、求めて期待通りにいかない方の憤慨も、求めないことに比べてあまりに失うものが大きい。いつも機嫌よくいられたらいいのに。なくなるときは唐突で、それが悲しければ悲しいほど前に進まなきゃいけないんだと思う。前に別れたときはアメリカに短期留学しているときで、そばにずっとななこちゃんがいた。ななこちゃんは素敵な女の子で、可愛くて、みんなに求められていて、わたしの人生にはたまにそんな女の子が救いに来てくれることがある。でも誰もいない時もある。こんな風になれたらなあと前を向ける時もあるけど、今はまだ無理で、すごく無理してる。子供が欲しくないから別れなくちゃいけない気がしてたけど、そんなの関係なくいなくならなきゃいけなかったみたいだ。はっきりしないから、前みたいに前を向けないのかもしれない。いなくなってほしいと言われてそれを飲み込んで忘れるために前を向くのと、なにも言われないままいなくならなきゃいけないって自分で少しずつ理解していかなきゃいけないのとでは苦しさが違う。変わらないと傷つけるし、変わられなければ傷つくし、自由で嬉しいようでいて同じくらい悲しいことに捕らわれている。全然関係のない人生なのに。一つ言いたいのはなにも嫌いじゃないし傷つけたいわけでもないってこと。どこかを否定したいわけでも無理に変えたいわけでもない。でもきっと一緒にいるなかでそれを感じられなくて、感じさせることもできないなら、そんなことに意味はなくて、ただ刹那的なだけだ。いまからそう言ったって言われたって、どうにもならない。わたしの気持ちも相手の気持ちも変わるし、どんな風に変わるかはわからない。いまはさみしさで歪んで見えてるだけで、きっと時間がどうにかしてくれて、その時にわたしがどうしたいかなんていま考えたって仕方ない。恋愛回路って執着や依存で、それは本能からくる性的な依存や経済的な依存や精神的な依存で、女の子として生きてるから仕方ないことだ。お腹が空いたり、眠くなったり、自己有用感を感じたくなったりするのが、全部そこに通じてしまう。悲しいのがどれくらい続いてもいつか大丈夫になれるならそれでいい。悲しいってことは楽しかったってことで、帰りたくないって言ったって誰かに迷惑をかけるだけだし、相手も帰りたくなかったらまた遊ぼうねってなるけど、それがなければ察するしかない。早く大丈夫な日記を書けるといいなあ。美容院に行って髪の毛を染めた。おみくじにはたくさんいいことが書いてあって、きっと大丈夫だって何回も読み直してる。

3/9

沈黙をする予定。電話が幾度も来たので出たら、相手にするのに疲れたと言われたので、相手にしなければいいじゃんと言ったら電話を切られる。確かにわたしは相手にしてくれる相手を疲れさせるタイプのメンヘラかもしれない。ただ、疲れさせているということを察して上手に会話ができないことを察せない彼氏は察する能力が低いと思う。相手にするのが嫌ならしなくていいし、して頂いているという気持ちでは生活したくないものだ。相手にしたいときに連絡すればいいし、抱きたいときに抱きに来ればいいし、要望を叶えたくなったり構ってあげたくなったりしたらそうすればいい。そうじゃないなら放っておけばいい。つまり原因はわたしが放っておくと不機嫌になるということを刷り込んでしまったばかりに放っておいてはいけない=自分の感情を整理するより先に連絡を入れなくてはいけないというところまで追い込んでしまったところにあるのかもしれないし、わたしにもそういう節がある。

 

 まあ近頃感情的に振舞っていたのは事実で、些細なことでは?と思っては?と言っていたし、どのタイミングでそれが出るかわからないことは彼氏にとって苦痛だったんだろう。ちなみにいまは何を言われてもは?と思うし、何回電話をかけ直されたところでそれは変わらないので、同じ結果が待っていたことは目に見えている。彼がわたしの自己有用感を満たさないようにいまのわたしは彼の自己有用感を満たすことができないのでお互いに話すのが苦痛なだけだ。いつかそれが解消されるかもしれないしされないかもしれないしされたらまた連絡を取ればいいかもしれないしそうでもないかもしれない。まあこのままなんとなく義務感で連絡を取り続けるよりは一度いなくなった方がいいのだ。誰か別の人が満たすようになるかもしれないしセルフケアが上手くできるようになるかもしれない。ただ、それまでにいままで貰ったプレゼントの全てが塵となる可能性は大いにある。

感情的になったときにここに文章を書いて一旦落ち着いて一週間経ったらまたそれを言いたいか考えろとぐっどうぃる博士も言っているのでそうする。というか何故いままでそうしなかった。感情的になると頭のてっぺんからつま先まで飲み込まれてしまって相手に何かしないといても経ってもいられなくなる。ぶつけないとこの世が終わる気がする。あの感覚はなんなのかわからないしちっとも有用でも冷静でもないのでやめる。早くやめろよ。もっと早くやめていれば99.9パーセントの喧嘩は防げたのに。ピルの避妊率と同じだけ防げたのに。

というわけで沈黙1日目。ゴールは自分も相手も優しい気持ちになってお互いの利害を一致させることができるようになるまで。まあ時間が必要なのだ。無駄なことを考えたりしなくていい。相手に何かしてあげるよりも自分のために時間を使う方がいまはいいような気がしているだけだ。またどこか遠くへ行ってしまいたい。