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4/7

 桜が満開だ。近くの公園に花見をしに行った。白雪姫と鏡の女王を観た。石岡瑛子という人が衣装デザインを手がけていて、作品を見れば見るほど感動する。たまにこういう気持ちになる。陳腐だけれど、芸術に圧倒される。何か形のないものにいっぱいいっぱいになっている場合じゃないと思った。漠然とした不安とか、手に入らないものを引き止めておきたい欲求とか。時間は有限で、何もかも決められているとしても、無意識が意識をコントロールしているとしても、意識が無意識をコントロールできる部分だってある。ああ今この何かしたい衝動は、ドーパミンが出てるんだなって、考えることができる。どう生きたいかとか、どうなりたいかとか、考えなきゃいけないかもしれないし、その中に閉じこもることもできるけど、いまこの瞬間とか、3分後とか、大事にできないなら何にもなれない。目の前にいる人に優しくできないなら、やっぱりそんな生き方意味ないと思った。だからって優しくできるわけじゃないけど。そうやって感じることはできる。目先の快楽より、品性とか礼儀とかに生きることもできる。いまをなんとなくやり過ごして生きて来て、それがいますぐ変わるとは思えない。不安も消えないし、憂鬱にもなる。ただ、それは自分の気持ちだ。自分のことしか考えないからそんな風に感じる。もっと優しくなりたいし、人のことを信じられるようになりたいなって思う。何かもらうより与えたいように感じるのは傲慢かもしれない。耳栓を買ったらよく眠れるようになった。欲望を刺激するものから離れて、期待することを手放すことができたら、と思う。優しくされることを期待したり、優しくされないことに不安になったりするのは、自分のためにならないし、そのことで不機嫌になるなら、人のためにもならない。余裕がないんだ。いろいろなものから、欲求から、離れたい。

4/6

 さみしいと言えば電話をくれて、なんでもない話に相槌を打ったり、笑ったりしてくれて、電話を切らないままでいてくれるから、疲れたのはどうでもよくなった。わたしも相手にとってこうなれたらいいな。感情的にならないでよかった。感じ方の違いを押し付けなくてよかった。自分の主観だけで、自分のからだの感覚だけで、判断しなくてよかった。問題から離れるきっかけがあって、落ち着いてよかった。苛々しても一旦落ち着いて、自分がほんとはさみしいだけで、さみしい気持ちにしないで!って怒ったりしないで、にこにこしてることを普段の自分は望んでるんだよって、いつでも思い出せればいいな。少し距離をとっていられるといいな。携帯電話なんて、LINEなんて、ずっと遠くにあればいいな。

4/6

 なんとなく疲れている。理由はわかる気がする。求められている反応が既に決まりきっている駆け引きをされると疲れる。自分の価値を感じられないままに相手の価値を上げなければいけない気持ちになるから? それとも求められる反応が上手にできないから? その両方だと思う。つながりすぎているし、つながることによって生じる不快感にうまく対応できない。だからといって静かにしていることもできないのは、相手の反応のなかに本当の自分を探そうとしてから回るからだ。嫌われたくないから、返事をするし、嫌われたくないから、眠くても疲れていても無視ができない。優しいわけじゃなくて怖がってるんだと思う。自分に自信がないんだと思う。本当に求めているものって、言いたいことってなんなんだろうと思う。それに素直でいても、嫌われてしまう気がする。別に何かをしてもらいたいわけでも、言われたいわけでもない。でも求めないことで可愛くないと思われるのは嫌だ。結局一緒にいてもいなくても、何か反応を、答えを求められ続ける限り苦しいんだと思うし、どっかで無理している。考えすぎなんだと思う。過敏に反応しすぎだ。遠くに行きたい。反応を求められるのが嫌だし、反応を求めるのが嫌だ。

3/31

もやもやしている。罪悪感を勝手に感じて、休日なのにうーんと悩んで、時間を台無しにしてみたりしている。こんなことがいいはずない。結局嫌われたくないだけだ。自分で選択してそうすると決めたのであって、誰かに強要されたわけじゃないのだから、もし悪い結果になっても自分で責任を取らなきゃいけない。悪い結果にならないように、わたしが困らないように、わたしのせいで誰かが傷つかないように、行動するしかない。言動は慎重にしなくてはいけない。もやもやもやもや。大丈夫!上手くやれるよ!って誰かに責任取ってほしい。自分で取るしかない。頑張る。自分で選んだことだから。大丈夫。自分のこと大切にしよう

3/29

 知らない間に3月が終わろうとしている。3月は別れの季節だけど、3月のことが嫌いじゃない。領収書書いてくださいのときに29日と書きながらとても驚いた。永遠に果てがなかったはずの春休みが終わってしまう。近所に鳥貴族ができたので友達と飲みに行った。同級生がたくさん飲みに来ていて、みんな考えることは一緒なんだなと思った。友達はタラレバ状態になっていて、つまり早坂さんみたいな彼氏がいながらもKEYくんみたいな男の子が気になっているらしい。楽しそうで何よりだった。割り勘にする彼氏ってどう思う問題が浮上した。優しい女の子と飲みに行くと避けて通れない問題だ。学生と正社員、フリーターと正社員などのカップルにおいては、学生側やフリーター側が女子である場合は割り勘は負担に感じるのはやむを得ない。それでもこのケースは周囲で跡を絶たない。どうなんですかね。女の子がデートを負担に感じてフェードアウトするならそれもまた一興、モテたくてお洒落したり美容院行ってるお金があるなら目の前の彼女に奢ってあげた方が、大切なものを失ってから大切さに気づく可能性は減るんじゃないでしょうか。彼女側の気持ちしかわからないけど。今日鳥貴族で彼女がトイレに行ってる間にお会計済ませてる彼氏は確かにカッコよく見えた。鳥貴族でもラーメンでもいい。女の子にとっては「大切にされてる感」ってめちゃめちゃ大事である。大切にされてる感があるのに、なんだか不安にさせられる男の子は、むかつくけどモテてしまうと思う。ただしイケメンに限らず。

 前の喧嘩でわたしは彼氏のiPhoneをぶん投げ、破壊した。たぶん怒ってたんだろう。わかる、怒られ返されるの、わかる。それでもその話を蒸し返されたくないのがわがままなのも、わたしが悪いのも、わかる。でも人は罪悪感を感じさせる相手に対して不快感を感じる。悪意がないのに蒸し返す人がたまにいる。駆け引きにおいて優位に立ちたいのか、ただ責めたいのか、わからないけど、気持ちはわかる。浮気とかされたら、言い続けちゃうの、わかる。でも大体その先待っているのは「いや、もう反省してるって言ってるじゃん。俺のこと信用してないんだね、別れよ」なので、そんなことしてはいけない。別にわたしが別れようと思っているとか、反省してるっつってんじゃん!許せや!と思っているとかではないんだけど。なんとなく上手にできないなあと思う。

3/26

 特になんでもない退屈な1日を過ごした。原因はわからないけど睡眠が浅くてずっと夢を見ていて、寝た気がしないので昼近くまで布団のなかにいたけれど結局十分には眠れなかった。雨が降っていて、何もやる気が起きなかったけれど、友達の誕生日プレゼントを買いに出かけた。バイパスはその先にあるららぽーとのせいで渋滞していて、とても駐車できそうになかったので、買い物は諦めてお寿司を食べに行った。

 なんでもない退屈な1日を悲しまずに過ごせるのはいろいろなことに満足しているからで、昨日の同じ時間は悲しい気持ちでいっぱいだったなあと思う。きっとご飯が食べられなくても悲しい気持ちだし、生活する場所がなくても、友達と喧嘩していても、仕事がなかったり学生でなかったりしても、悲しい気持ちになるんだろう。ふとした失敗でなくす可能性があるもので、でもまた取り戻せる可能性もあるものだ。持ち物が最初からたくさんあったら、それがあるのが当たり前で、維持するのにいっぱいいっぱいになってしまって、それでいてひとつなくすだけでパニックになってしまう。そうやってわかってるはずなのにスケジュール帳の前でうーんと腕を組んでどうやって埋めるか悩んでいることがよくある。そんなとき、自分がとても退屈な種類のひとだなあと思い知る。今日のトマトのパスタはとても美味しくできた。夜ご飯は回転するお寿司で、ヨックモックのクッキーもたくさん食べた。マニキュアが剥げかけている。アメトーークのセーターフジモンが面白すぎた。

3/25

 彼氏と仲直りした。朝はなんでこんなつまらない世界におはようしなければならないんだろうかとか考えて起床が苦痛で仕方なく、バイトに行くのが気が重かったけれど、つまらなくしてるのは自分だし、優しくしてくれた相手に優しくできないなら他人に優しくするしかないような気がしていたら4時間半のシフトはすぐ終わった。帰ってきてTHE世界遺産スコットランドの鉄橋を観ながらぼろぼろ泣いて、沖川東横先生の恋愛日記を読んでいたらいつの間にか元気を取り戻した。傷心旅行にインドにでも旅立とうかと思ったり、ボランティアのことを考えたりして夕方再び出勤したらつれないメールが来て、つれない電話が来て、いつの間にかつれなくなくなって、仲直りした。あ、いないと死ぬんだなーと思った。確実に心が死んで行くのを感じた。別に優しくしたくなくて優しくされていないわけではないのはわかる。わたしがもっと相手の気持ちに寄り添えたり、長期的な時間軸で物事を見られたりすればいいのに、自分のことばっかりで、目の前の不安や憤慨を解消したいばかりに相手に感情的なことばを吐いてしまうし、感情的な行動をしてしまう。先々週のiPhone破壊事件がいい例だった。昨日ホスト狂いの女の子と食事に行って、話を聴いて感動した。「わたし担当の前では泣かない。それだと相手が責められてるって思っちゃうから」。何百万も貢いで、挙句なにか傷つくことをされても泣かないと決めているその子に比べて、別に貢いでもいないのに気に入らないことがあると言わずにはいられなくなって、言いたいことが言えるのがいい関係だと勘違いして、不安とか憤りを解消してくれるのが恋人だと思い込んで、大して役にも立たないし癒しにもなれていないわたしが、ちょっと傷ついたり気に障るとわんわん泣く。そんないつ爆発するかわからない、どこに埋まってるかもわからない地雷原を歩かされる彼氏の気持ちを考えるととんでもない不幸。わたしは生まれ変わる必要性に駆られている。感情をコントロールする必要性である。あ、今傷ついたぞ!と思ったら脳内で日記をつけることにしてみる。効果があるのかは謎。あのねー、ねえねえ、あとね!を多用する話し方をしてしまうのが好評なので、メモ。大して面白くない話をたくさんして、聴いてくれる人がいると、安心する。