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5/4

いま自分がしたいことってこれじゃないなって思う。いつも遠くに行きたい。いつもさみしいのに、いつも一人でいたい。周りのいろいろなものに感化されて自分がいなくなる。いなくならないことなんてあるのか、知らないけど、とにかく吸収し続けている。さみしいのは続かない。24時間のうち、本当に寂しいのなんて多くたって1時間くらいだ。でもさみしいを感じるのはそれだけたくさん他人に依存してるってことだ。こんな風で居たくないんだろうと思う。焦燥し続けて、すり減らされていく。自分のせいだ。ずっとさみしいし、ずっと他人をさみしくしているのかもしれない。こんなもののせいだ。本当に豊かになれることなんてあるのだろうか。本当に自分の感情を冷静に見ることなんてできるのだろうか。コントロールしたいという欲求と、やさしさがうまく交わるところはあるのだろうか。ない。エゴだ。わたしはやさしくないし、他人もやさしくない。全員自分のメリットのために動く。そうしたら全員嫌いなのだ。眠いからさみしいのかな、焦ってるからさみしいのかな。夜だからかな、ホルモンのバランスかな。何かのビタミンが足りてないのかな。他人がやさしくしてくれないからかな。もっともっとと思うからかな。何かに集中できないほど焦燥しているなら、何もしなければいい。何もしないという選択ができることを知らないふりをしているのは繋がっていないと押しつぶされそうになるからだ。繋がりの方がもっと重いのに。

5/1

また行って来ますを言わなかったことを怒られてしまった。学校から直行したので行って来ますも何もないな、と思って到着してから来てるよ!と報告したけど、言い方がよくないと怒られました。まあそうかもしれない。直行したから言わなかったんだよーと原因を言った時点で言い訳?とか言われなければこんなにむすーっとしてないんだけどな。昨日のデートはとても楽しかったし、機嫌がよかったんだけど。機嫌よくしてれば機嫌よくしていてくれるのかなって思うし、言いたいこともわかる。確かに来てるよーっていう言い方だとずっと前からいるみたいなニュアンスだし、直行したなんて知らないもんね。怒られた手前、理由が言い訳じみてしまう。じゃあどうしたらいいんだー!わたしはむすーっとされるとむすーっとしてしまう。嫌われたり呆れられたりするのが怖いだけだ。防衛本能。むすーっと仕返したって嫌われたり呆れられたりする確率を上げるだけのような気もする。でもむすーっとしてるんですよ!と言わずににこにこすることもできない。溜め込んで溜め込んで失敗してみることもあるけど、1週間くらい経ってからああもう!!無理!!と揺り返しが来る。わたしが言い訳みたいにするからむすーっとされてるのもわかる。わかるわかるわかる。要求するよりはされる方がマシだって思ってる。喧嘩したり悲しくなったりするのは嫌いだなと思う。大声も暴力も嫌いだ。なんでごめんねが言えないの?って言われたくないな。難しい。なんでずっと仲良しでいられないんだろう。むすーっ。

4/18

寂しかったのは週末が楽しすぎたからだとわかった。あの日にすべてのドーパミンを出し切ったみたいだ。寂しいのを忘れるためみたいに藤井太洋ビッグデータ・コネクトを読んだ。一人暮らししている友達の家にカルボナーラを作りに行った。自分の家にいると息が詰まりそうになるし、合わないなと思う。一人暮らしをしたい。経済力がないので、居候させて欲しくなった。あまり家に居たくない。家以外に休まる場所があるわけでもない。だからといって家にいるから休めているわけでもない。どっかでバランスを崩し続けている。人との距離感を誤っている。

4/18

無駄に心配になるのは自分が暇だからだ。わかってる。何かに打ち込んだり、友達と会ったりすればいいのに、暇だから余計なことに気を取られて迷惑をかけてる気がする。逆効果で、自分の心配とか不安とかを相手に解決して欲しい!って思うのは間違ってる。苛々するのなんてもってのほかで、言葉では信じるって言うし、信じるしかないし、疑うような言動があるわけでもないし、冷静になればそんなのわかるんだけど、心配なときは本当に心配になって、結局距離感がわからなくなる。もっと余裕を持てたらいいなと思う。自信がないのかな。いつかは帰って来るんだからそれでいいじゃん!って誰かに言って欲しい。そういうときに言って欲しい。どこにいても結局自分のところに帰って来ればいいじゃんって言って欲しい。そういうときはそれさえ信じられないのかもしれないけど。縛ったり疑ったり強要したり勝手に苛々したり自由を奪ったりしたくないから、不安とか心配とかにならないくらい余裕でいたいなあ。最近不安で眠れなくなったりする。自分のバランスが取れてない。依存してるってことだ。本当によくない。いなきゃいけないことなんて常日頃理解していなきゃいけないことじゃない。そんなことしたって嫌な気持ちにさせるだけだし、嫌な気持ちにさせたら自分が嫌な気持ちになるんだけどなあ。わたしは暇なんだな。いろいろぶつけたりするのは嫌だなって思う。自己中な気持ちだから。マイナスな気持ちは自分の持ち物だし、解決して欲しい!って思う前にマイナスなことから距離を取れないなら自分の責任だって思う。大人なんだからちゃんとしましょう。

4/15

バイトが始まってしまう。エロい夢ばっかり見るのは、どうやら疲れているかららしい。昨日の夜、さみしいと電話をしてしまったのは、そしてさみしくて仕方ないのは別に冷たくされたからではなくて、疲れているらしい。そして冷たくされるのはわたしが手に入った距離にいるからで、手に入った距離にいるのは、めちゃめちゃ好きやねん!だからではなく、依存しているからだ。好きはうざがられない。依存はうざがられる。ここには圧倒的な隔たりがある。好きは押し付けないけど、依存は押し付けなのだ。で、さみしいから、さみしいわかってよちゃんになって、さみしいわかってよちゃんはわかってほしい!!でいっぱいになるからiPhoneから離れられないのだ。1分後くらいに返信が来る、クソつまらない女の子になる。さみしいわかってよちゃんは、さみしいわかってよちゃんになった原因を解決しないといなくならない。春学期が始まって、環境が変わったストレスをどこかで解消しないと、いなくならない。このストレスを彼氏にぶつけたって、別れそうになるだけだ。もう一回言うけど、そんなことしてたら振られちゃうよ。疲れた!さみしい!は自分で解決しないと。いい本を読んで、外に出よう。今日も明日も快晴だ。さみしいわかってよちゃんがいなくなるまでは、なるべく欲望を遠ざけること。適当に距離を取ろう。さみしいわかってよちゃんが現れたらここにきましょう。冷たくされるのは、尽くしすぎてかまってちゃんだからです。以上

4/14

ララランドを観に行った。わたしはロランスを思い出した。でもわたしはロランスは日常の中に映画が紛れ込んでいたけど、ララランドは日常そのものがロマンチックで、アメリカの映画らしかった。夜は短し歩けよ乙女とどっちを観るか、友達と協議した結果ララランドを観に行ってよかったと思う。

4/11

 わたしさみしいんだな。手に入った距離に入るとやっぱりこうなる。自分でコントロールできてないからだ。さみしいをコントロールできなくなって、何かを期待してる限りよくないままだ。電話が切れてもかかってこないままだ。こういう時自分で掛け直したところでそんなこと求めてない。じっと待ってる方がいいな。来なくてもいいし、来たら嬉しいけど、何しろ自分で行動することが自分のことを追い詰める時もある。今みたいに。自分と向き合うことを避け続けて、苦しむことをやめると、自分がどんな風でいたいかを見失ったり、自分が本当は何を欲しているのかを見誤ったりする。他人に満たして欲しくなってそれを要求するのは間違ったかたちなのに。些細なことで悲しくなったり嫌になったりするのも、やっぱりずっと同じものはないことを表面でしか受け入れられてないからだ。一昨日優しかったから、昨日はお話できたからって、ずっとそのままでいられない。もちろん仲が悪いのだって、変わり続ける。どんな方向に変わるかはわからないけど。とにかくわたしはすごくさみしいし、傷ついている。明日になったらほんの些細なことで、いまも考え事のほんの隙間では別のことを思っているけど、おやすみに対して相槌だけって何?みたいな、スタンプばっかだからわたしから電話かけたのに何?みたいな、切れたのに掛け直さないって何?みたいな、いろいろくだらない悲しいでいっぱいになってる。でもこんな時は死ぬほど疲れてたんだなって思って忘れる。優しくしてほしいときに優しくしてくれないとか、さみしいときに構ってくれないとか、そういうの、自分で自分の相手をしてあげるしかない。連絡しない理由ができたことにほっとしてもいるくせに。「疲れてたみたいだから」って、たぶんわたしは言うだろうな。

 自分に理想ばっかり押し付けて、現実の何にもなれない自分に落胆する。毎日毎日アニメ見て寝てて何になれるのかわからない。頑張らずにだらけないってなんだろうか。そういうちょうどいい時もあったはずなのに、そんな時のこと忘れてしまう。好きなものとか好きなこととか、一生懸命になれるものもあるはずなんだけど、そういう場所からも逃げたくなるときがある。誰かの感性に飲み込まれるのが怖い。それだけ不安定なんだろうな。つながっているもの全部をなくしてしまいたくなったりもする。それはすごく抽象的で感覚的なことだから、ほんの些細な文学でファストフードみたいに済ませてしまえる欲望だ。生活の方が重要なのに、たまに気づけなくなる。何がしたいんだろう。誰かに依存してるからそんな風に思えるんだ。余計なこと考えてない時も、恋愛してないときも、ほとんどないくせに、自分だけはちゃんと考えてるなんて、思わない方がいい。