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人に必要とされていない気がするのは寂しいことだ。恋人ににこにこ送り出してもらえないことがこんなに嫌な気持ちになるなんて、ちゃんと覚えておかなきゃなあ。今まで逆の立場できっと同じことをしてたんだと思う。気をつけてね〜〜って送り出して欲しいな。期待を裏切られると嫌な気持ちになるものだ。気をつけたいけど、気をつけてねってにこにこできないくらい余裕がない時ってたくさんある。ああ、こんな気持ちにさせるくらいなら普段から余裕でいた方がいいなあ、と思う。でもこんな気持ちにさせたくないのは結局利己的な目的のためのような気もする。恋愛って利害関係だ。嫌なことばっかり考えてる。というか、この恋愛が利害関係なだけかもしれない。面倒なときはいらない、欲求を満たしたいときはいる、鬱陶しいときは優しくしない、そうじゃなければ求める、優しくされないならしない。そういうことから不意に離れたくなる。ただ、そういうことによっていろんな快楽物質がでて、それに依存してるから、なくなったらこの世が終わったみたいに絶望してしまうのだ。去年はアメリカに行って、毎日抜けるみたいに晴れていて、憂鬱なんてなれないくらい幸福物質がでていた。変なものに振り回されてるけど、振り回されるように仕向けているのは自分だ。ただわたしは利己的な欲求を満たしたいし、利己的な欲求を満たしてもらおうとされているような、感覚がある。例えば一瞬そうでないと感じるとして、持続しない。刹那的な感情に身を委ねて、昂ぶっているだけだ。そんなことを言うと恋愛だけでなく何もかもそうで、きっとみんな何もかもに対してそうやって無意識に操作されている。苦しい。すごい苦しい。溺れ続けているみたいで、依存ってなんて苦しいんだろうと思う。憂鬱と快楽を延々と堂々巡りしているだけなのに。何かに依存していないと生きていけないくらい、生きるのに向いていないけど、生きるのに向いていないのは、何かに依存しているせいなのかもしれない。

明日から京都です。楽しいといいな。楽しみすぎて仏教の本をずっと読んでいる。執着もそのほかの悪いものも、煩悩で、そこに近づくとよく生きられないらしい。じゃあ、いらない。捨てて来られるといいな。

 

続き、

苦しくて昔の日記を読み返したら楽しいことがたくさん書いてあった。そうだな、わたしのわがままだ。いくら最後の電話が適当だったからって、わたしのお話を聞いてにこにこしてくれたらそれでいいし、まあ適当だろうがその後連絡がなかろうがよくないけどいいよ。必要としてないでしょ!!と怒るのは意味がわからない。でも悲しい気持ちになるのだ。にこにこしてくれる瞬間は好きだ。でも自分の存在が肯定されてる気がするからなんだろうなあ、それの何が悪いのかわからないけど。お互い肯定されてるような気持ちになれたら、それはハッピーなんだと思う。先に肯定してあげなきゃ!っていう義務感から抜け出せたらいいな。その義務感がクソしょうもないストレスになってる、アホかよ。恋人が心配してくれなくてもママは心配してくれたし、空港まで迎えに来てくれたり、送ってくれたりする家族や親戚がいるからこの旅行が成り立つのだ。今日はバラエティ番組を見ること以外何もしていないけど、横山裕が素晴らしいし、大丈夫。なんかとりあえず横山裕が楽しそうだから、大丈夫。たくさん変なことを考える時間があるし、バイトでミスってもなんだか大丈夫。RAXYで使える化粧品がたくさん来たし、大丈夫。過去の日記、恋愛のことしか考えてなくて大丈夫じゃないけど。弱いなあ。そんな弱々だからいっつも不安でむすーっとしてるのだ。もっとでーんと可愛く構えておけばいいのにと思う。でーんと可愛く構えてる二十歳でいられるのはあと2ヶ月もないのに。まったくもう。ぐずぐずしてる場合じゃない。楽しむのだ。横山裕ありがとう。

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