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 何年も果てのない劣等感と付き合い続けて来ているけれど、どうしても向き合うことができない。いろんなネガティブな感情の裏側に、どんなに頑張っても何者にもなれないのではないかという恐怖がある。一方では何もしない、何にも興味を持たない風にもいられないし、一方では全く能力というものを持ち得ていない。こんな風にどうにもできないという無力を感じて、誰よりも劣っているという感覚にとらわれたときに、真っ先に縋る先として思い浮かんだのは信仰だった。誰よりも祈ることや誰よりも信じることによって確実に救われるというのなら、確かに信仰はゆがんだ資本主義社会の中で最も狂気を孕んだかたちで現れるだろう。社会の行き詰まりの中で、自分にはなんの使命も、能力もなく、終わりが見えないとすれば、何かに縋るより他に何ができるんだろう。競争があって、自分の能力が評価されて、他人にとって対価を払うべきかどうか査定されて、いろんな場所でずっと行われて来たことが、どんどん向かうべき場所を失っていく。物も価値をなくして、人も居場所をなくして、全部が飽和して、わたしはこんな世の中で子供を産んだり結婚したり一軒家を建てたりする希望や意義を見失っている。