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 昼間はバイトをした。モップで床をたくさん擦る。その後光回線のモデムやなんやらを返却したり、図書館に行ったりした。予約した本が届いていたからである。カーネギーの「人を動かす」だ。100ページほど読み終わったけれど、読みながら途中で恋人と喧嘩をしたので人を動かすどころか自分の感情に動かされててあちゃーと思った。他人の強い欲求を呼び起こさせることが大事で、人の強い欲求のなかで、唯一他人にしか埋められずに枯渇している欲求が有用感であるらしい。これが俗に言うコアってやつだと思った。コアは人それぞれ違うから、相手の立場に立って相手を理解することが必要になる。自分のことしか考えていない人がほとんどなのだから、他人のことしか考えない奇特な人になることでとっても幸せになれるらしい。む、難しい。日々のルーティンのなかでこんな才能が育つかな。相手がしてくれていることを理解しているつもりになって、感謝しているつもりになって、結局なんだかいらいらいらいらしているようじゃまだまだだ。

 

 自分の感情に飼われている。他人の言葉にむしゃくしゃしてしまう。なんとなく不安になる。いままで供給されていた有用感が突然ストップするような気がするからかもしれない。他人に寂しさを埋めてもらおうとしちゃいけない。いつかもらえたものがまた貰えるように期待しているからこうなる。優しくされないことがすごく嫌になる。自分のことばっかりだと思う。でも結局自分が寂しい!って叫びたいのを我慢してるのを感じる。繋がれば繋がるほど希薄に感じるのはやっぱり自分のことを満たしてもらおうと期待して叶えられないからで、他人のことなんてこれっぽっちも考えていなくて、他人からしたらどうでもいいわたしの有用感を満たされないことにいらいらいらいらしている。依存している。

 

 誰かに埋めてもらいたい寂しさがあるのは誰かとの衝突の中で生まれたのか自分の中から生まれたのか、あるいはその両方だ。退屈なだけかもしれないしするべきだというしなくてもいいことへの圧迫感で嫌になるけどそれがなくなるとどうしたらいいかわからなくなる。本当だ、他人のことなんて何も考えてないな。誰かに優しくしてもらいたいだけに優しくするのはどうしたらやめられるんだろう。自分に余裕がないのに他人に与えようとするのと、自分にない余裕を他人に与えてもらうために先に優しくするのと、何が違うんだろう。どっちも中身がない。してもらったことの数を数えても寂しいだけなので今のわたしはダメだ

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