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たくさんの選択肢がある消費社会と、人間が幸福を感じるメカニズムは相性が悪い。限定された条件の下で、自分で選択した事柄に対して人間は幸福を覚える。

 

実際、高校でデザイン科を選んだのは、「満員電車に乗りたくないし、世界史と日本史と物理と生物の授業を続けて受けるなんて耐えられない」という理由だった。自転車で通える距離にある、普通科以外の学科で、女子でも入れるのがその高校のデザイン科しかなかったのだけれど、人生の中でも有用で、非常に幸福な時間だった。

一方で、就職活動は最低だった。選択肢が多すぎた。大学3年生の私に、これから定年まで何がしたいかなんてさっぱりわからなかった。キャリアセンターもエージェントも答えを教えてくれないし、周囲は「大学生の就活なんてそんなもん」と慰めるだけ。結局、面倒になって、人手不足で就活が楽そうなIT系の中で、リクナビを通してスカウトが来た会社を適当に受けて就職した。

何も最初から適当に選んでやろうと思っていたわけではない。

でも、高校の就活に比べて、大学の就活はあまりに選択肢が多く、あまりに自由で、最悪だった。あまり知らない会社をとりあえずキャリアセンターや就活サイトで見繕って、差異のない説明会に交通費と時間をかけて参加し、指定の履歴書を購入し手書きで思ってもないことを書き込む。最終面接まで何度も足を運び、この話するの何回目かな~とか思いながら、着たくもないスーツと歩きにくいパンプスを身に着けて、面接を受ける。

本当にクソだと思った。早く終わらせたくて適当に選ぶから、新卒の離職率は高いんではないだろうか?

私もできることなら、資格取得と年次だけで昇進が決まるような、一人一人の仕事を見てくれないような会社ではないところに転職したい次第。

 

ともかく、消費社会の中で持続的な幸福感を得るのは難しい。

 

最近、幸福とは何かと思うとき、幸福とは自分の物差しを持つことだと考えるようになった。誰かにとっては洋服や化粧品にコストをかけることが幸福だけれど、私にとっては違うらしい。誰かにとっては子どもを3人以上産むことが幸福だけれど、私にとっては違うらしい。他人の幸福を自分の物差しで測る事で、自分のサイズに合った幸福を知ることができる。

そして最近私が測れない幸福が、働き方や稼ぎ方といった類の幸福の在り方だ。

会社員は確かに、無根拠ではあるけれど守られているというような感覚がある(実際そんなことはないにしても)。毎日出勤していれば、まあ時給に換算するとひどいくらいの給料と、勤務時間外で社内資格のために勉強している時間に対する手当だとしても文句を言いたくなるようなボーナスが出る。

代わりに、家族とは暮らせないし、大好きな地元にもいられない。自由な時間や、好きなことを考える時間は減った。

いろいろなしがらみから解放された友達を羨ましく思う時間も増えた。

結局ないものねだりなのかもしれない。