q

6/29

 いつの間にか6月が終わってしまう。わたしもパソコンで文書を打ちたい。Wi-Fiがおかしくなってから、パソコンを開く回数が更に減った。就職活動が始まるらしい。とりあえず思いついた自分の短所は客観性に欠けること。主観的に判断しがちなこと。だから国際法のゼミを選んだのにやっぱり政治経済の方が面白いなあというか、性に合うなあと思う。

5/27

人に必要とされていない気がするのは寂しいことだ。恋人ににこにこ送り出してもらえないことがこんなに嫌な気持ちになるなんて、ちゃんと覚えておかなきゃなあ。今まで逆の立場できっと同じことをしてたんだと思う。気をつけてね〜〜って送り出して欲しいな。期待を裏切られると嫌な気持ちになるものだ。気をつけたいけど、気をつけてねってにこにこできないくらい余裕がない時ってたくさんある。ああ、こんな気持ちにさせるくらいなら普段から余裕でいた方がいいなあ、と思う。でもこんな気持ちにさせたくないのは結局利己的な目的のためのような気もする。恋愛って利害関係だ。嫌なことばっかり考えてる。というか、この恋愛が利害関係なだけかもしれない。面倒なときはいらない、欲求を満たしたいときはいる、鬱陶しいときは優しくしない、そうじゃなければ求める、優しくされないならしない。そういうことから不意に離れたくなる。ただ、そういうことによっていろんな快楽物質がでて、それに依存してるから、なくなったらこの世が終わったみたいに絶望してしまうのだ。去年はアメリカに行って、毎日抜けるみたいに晴れていて、憂鬱なんてなれないくらい幸福物質がでていた。変なものに振り回されてるけど、振り回されるように仕向けているのは自分だ。ただわたしは利己的な欲求を満たしたいし、利己的な欲求を満たしてもらおうとされているような、感覚がある。例えば一瞬そうでないと感じるとして、持続しない。刹那的な感情に身を委ねて、昂ぶっているだけだ。そんなことを言うと恋愛だけでなく何もかもそうで、きっとみんな何もかもに対してそうやって無意識に操作されている。苦しい。すごい苦しい。溺れ続けているみたいで、依存ってなんて苦しいんだろうと思う。憂鬱と快楽を延々と堂々巡りしているだけなのに。何かに依存していないと生きていけないくらい、生きるのに向いていないけど、生きるのに向いていないのは、何かに依存しているせいなのかもしれない。

明日から京都です。楽しいといいな。楽しみすぎて仏教の本をずっと読んでいる。執着もそのほかの悪いものも、煩悩で、そこに近づくとよく生きられないらしい。じゃあ、いらない。捨てて来られるといいな。

 

続き、

苦しくて昔の日記を読み返したら楽しいことがたくさん書いてあった。そうだな、わたしのわがままだ。いくら最後の電話が適当だったからって、わたしのお話を聞いてにこにこしてくれたらそれでいいし、まあ適当だろうがその後連絡がなかろうがよくないけどいいよ。必要としてないでしょ!!と怒るのは意味がわからない。でも悲しい気持ちになるのだ。にこにこしてくれる瞬間は好きだ。でも自分の存在が肯定されてる気がするからなんだろうなあ、それの何が悪いのかわからないけど。お互い肯定されてるような気持ちになれたら、それはハッピーなんだと思う。先に肯定してあげなきゃ!っていう義務感から抜け出せたらいいな。その義務感がクソしょうもないストレスになってる、アホかよ。恋人が心配してくれなくてもママは心配してくれたし、空港まで迎えに来てくれたり、送ってくれたりする家族や親戚がいるからこの旅行が成り立つのだ。今日はバラエティ番組を見ること以外何もしていないけど、横山裕が素晴らしいし、大丈夫。なんかとりあえず横山裕が楽しそうだから、大丈夫。たくさん変なことを考える時間があるし、バイトでミスってもなんだか大丈夫。RAXYで使える化粧品がたくさん来たし、大丈夫。過去の日記、恋愛のことしか考えてなくて大丈夫じゃないけど。弱いなあ。そんな弱々だからいっつも不安でむすーっとしてるのだ。もっとでーんと可愛く構えておけばいいのにと思う。でーんと可愛く構えてる二十歳でいられるのはあと2ヶ月もないのに。まったくもう。ぐずぐずしてる場合じゃない。楽しむのだ。横山裕ありがとう。

5/24

電話切っちゃやだーって言うのに話は聞いてくれない。返答なし。

・疲れてるから

・鬱陶しいから

・声は聴きたいけど返事は面倒だから

・声聴きながら寝たいから

これのどれかか、これの複合体だと思う。わたし暇だと思われてる。寝る前なんて暇だけど。電話してるときはさみしいしやだやだするほど鬱陶しいの?なら切るぞ?って感じで寝る?って聞くとそれもやだ!って言うしなんやねん!って感じだけど文字に起こすとわたしアホなのかな?と思う。じっとしてよう。

日曜日から京都に行く。唐突な京都。楽しい三泊四日になるといいな。ダブルベッドでよく眠れるといいな。

5/20

もっとのびのびできる場所があるはずだ。周りの何かじゃなくて、自分自身が。そういう心の置き方ができるはずだ。ついでにイライラしたり悲しくなったり、感情が高ぶってしまうのは、何かに追い詰められているからだけど、追い詰めているのは自分自身だ。放っておいてしまうこと、プレッシャーを感じて圧迫してしまうこと、いまあるものやできることで満ち足りることができないのは、自分自身のせいで、少し落ち着いて欲望から離れれば、何も大したことがない。本当は何かに突き動かされてなんていないのに、少し離れれば忘れてしまう程度のことなのに、その瞬間衝動に束縛されてしまうのは、自分自身への負い目や、相手への負い目のせいだ。言葉では簡単なのに、何もかも難しい。でも、間違ってると感じることや、ストレスを察知するとき、それは本当に自分のことを苦しめている。誰にどう思われたって、自分が自分のことを蔑ろにしてしまうよりはずっとましだ。自分のことを苦しめることが、やがて相手のことをも苦しめるし、お互い尊敬できなくなる。短期的な欲望やエゴは捨てて、ただ知ったり、理解したりすることだけに、ずっと集中していられたらいいのに。ひとりでいるなら、自由だと感じればいいし、誰かいるなら、誰かに感謝できればよい。

5/4

いま自分がしたいことってこれじゃないなって思う。いつも遠くに行きたい。いつもさみしいのに、いつも一人でいたい。周りのいろいろなものに感化されて自分がいなくなる。いなくならないことなんてあるのか、知らないけど、とにかく吸収し続けている。さみしいのは続かない。24時間のうち、本当に寂しいのなんて多くたって1時間くらいだ。でもさみしいを感じるのはそれだけたくさん他人に依存してるってことだ。こんな風で居たくないんだろうと思う。焦燥し続けて、すり減らされていく。自分のせいだ。ずっとさみしいし、ずっと他人をさみしくしているのかもしれない。こんなもののせいだ。本当に豊かになれることなんてあるのだろうか。本当に自分の感情を冷静に見ることなんてできるのだろうか。コントロールしたいという欲求と、やさしさがうまく交わるところはあるのだろうか。ない。エゴだ。わたしはやさしくないし、他人もやさしくない。全員自分のメリットのために動く。そうしたら全員嫌いなのだ。眠いからさみしいのかな、焦ってるからさみしいのかな。夜だからかな、ホルモンのバランスかな。何かのビタミンが足りてないのかな。他人がやさしくしてくれないからかな。もっともっとと思うからかな。何かに集中できないほど焦燥しているなら、何もしなければいい。何もしないという選択ができることを知らないふりをしているのは繋がっていないと押しつぶされそうになるからだ。繋がりの方がもっと重いのに。

5/1

また行って来ますを言わなかったことを怒られてしまった。学校から直行したので行って来ますも何もないな、と思って到着してから来てるよ!と報告したけど、言い方がよくないと怒られました。まあそうかもしれない。直行したから言わなかったんだよーと原因を言った時点で言い訳?とか言われなければこんなにむすーっとしてないんだけどな。昨日のデートはとても楽しかったし、機嫌がよかったんだけど。機嫌よくしてれば機嫌よくしていてくれるのかなって思うし、言いたいこともわかる。確かに来てるよーっていう言い方だとずっと前からいるみたいなニュアンスだし、直行したなんて知らないもんね。怒られた手前、理由が言い訳じみてしまう。じゃあどうしたらいいんだー!わたしはむすーっとされるとむすーっとしてしまう。嫌われたり呆れられたりするのが怖いだけだ。防衛本能。むすーっと仕返したって嫌われたり呆れられたりする確率を上げるだけのような気もする。でもむすーっとしてるんですよ!と言わずににこにこすることもできない。溜め込んで溜め込んで失敗してみることもあるけど、1週間くらい経ってからああもう!!無理!!と揺り返しが来る。わたしが言い訳みたいにするからむすーっとされてるのもわかる。わかるわかるわかる。要求するよりはされる方がマシだって思ってる。喧嘩したり悲しくなったりするのは嫌いだなと思う。大声も暴力も嫌いだ。なんでごめんねが言えないの?って言われたくないな。難しい。なんでずっと仲良しでいられないんだろう。むすーっ。

4/18

寂しかったのは週末が楽しすぎたからだとわかった。あの日にすべてのドーパミンを出し切ったみたいだ。寂しいのを忘れるためみたいに藤井太洋ビッグデータ・コネクトを読んだ。一人暮らししている友達の家にカルボナーラを作りに行った。自分の家にいると息が詰まりそうになるし、合わないなと思う。一人暮らしをしたい。経済力がないので、居候させて欲しくなった。あまり家に居たくない。家以外に休まる場所があるわけでもない。だからといって家にいるから休めているわけでもない。どっかでバランスを崩し続けている。人との距離感を誤っている。