q

3/9

沈黙をする予定。電話が幾度も来たので出たら、相手にするのに疲れたと言われたので、相手にしなければいいじゃんと言ったら電話を切られる。確かにわたしは相手にしてくれる相手を疲れさせるタイプのメンヘラかもしれない。ただ、疲れさせているということを察して上手に会話ができないことを察せない彼氏は察する能力が低いと思う。相手にするのが嫌ならしなくていいし、して頂いているという気持ちでは生活したくないものだ。相手にしたいときに連絡すればいいし、抱きたいときに抱きに来ればいいし、要望を叶えたくなったり構ってあげたくなったりしたらそうすればいい。そうじゃないなら放っておけばいい。つまり原因はわたしが放っておくと不機嫌になるということを刷り込んでしまったばかりに放っておいてはいけない=自分の感情を整理するより先に連絡を入れなくてはいけないというところまで追い込んでしまったところにあるのかもしれないし、わたしにもそういう節がある。

 

 まあ近頃感情的に振舞っていたのは事実で、些細なことでは?と思っては?と言っていたし、どのタイミングでそれが出るかわからないことは彼氏にとって苦痛だったんだろう。ちなみにいまは何を言われてもは?と思うし、何回電話をかけ直されたところでそれは変わらないので、同じ結果が待っていたことは目に見えている。彼がわたしの自己有用感を満たさないようにいまのわたしは彼の自己有用感を満たすことができないのでお互いに話すのが苦痛なだけだ。いつかそれが解消されるかもしれないしされないかもしれないしされたらまた連絡を取ればいいかもしれないしそうでもないかもしれない。まあこのままなんとなく義務感で連絡を取り続けるよりは一度いなくなった方がいいのだ。誰か別の人が満たすようになるかもしれないしセルフケアが上手くできるようになるかもしれない。ただ、それまでにいままで貰ったプレゼントの全てが塵となる可能性は大いにある。

感情的になったときにここに文章を書いて一旦落ち着いて一週間経ったらまたそれを言いたいか考えろとぐっどうぃる博士も言っているのでそうする。というか何故いままでそうしなかった。感情的になると頭のてっぺんからつま先まで飲み込まれてしまって相手に何かしないといても経ってもいられなくなる。ぶつけないとこの世が終わる気がする。あの感覚はなんなのかわからないしちっとも有用でも冷静でもないのでやめる。早くやめろよ。もっと早くやめていれば99.9パーセントの喧嘩は防げたのに。ピルの避妊率と同じだけ防げたのに。

というわけで沈黙1日目。ゴールは自分も相手も優しい気持ちになってお互いの利害を一致させることができるようになるまで。まあ時間が必要なのだ。無駄なことを考えたりしなくていい。相手に何かしてあげるよりも自分のために時間を使う方がいまはいいような気がしているだけだ。またどこか遠くへ行ってしまいたい。

3/8

 昼間はバイトをした。モップで床をたくさん擦る。その後光回線のモデムやなんやらを返却したり、図書館に行ったりした。予約した本が届いていたからである。カーネギーの「人を動かす」だ。100ページほど読み終わったけれど、読みながら途中で恋人と喧嘩をしたので人を動かすどころか自分の感情に動かされててあちゃーと思った。他人の強い欲求を呼び起こさせることが大事で、人の強い欲求のなかで、唯一他人にしか埋められずに枯渇している欲求が有用感であるらしい。これが俗に言うコアってやつだと思った。コアは人それぞれ違うから、相手の立場に立って相手を理解することが必要になる。自分のことしか考えていない人がほとんどなのだから、他人のことしか考えない奇特な人になることでとっても幸せになれるらしい。む、難しい。日々のルーティンのなかでこんな才能が育つかな。相手がしてくれていることを理解しているつもりになって、感謝しているつもりになって、結局なんだかいらいらいらいらしているようじゃまだまだだ。

 

 自分の感情に飼われている。他人の言葉にむしゃくしゃしてしまう。なんとなく不安になる。いままで供給されていた有用感が突然ストップするような気がするからかもしれない。他人に寂しさを埋めてもらおうとしちゃいけない。いつかもらえたものがまた貰えるように期待しているからこうなる。優しくされないことがすごく嫌になる。自分のことばっかりだと思う。でも結局自分が寂しい!って叫びたいのを我慢してるのを感じる。繋がれば繋がるほど希薄に感じるのはやっぱり自分のことを満たしてもらおうと期待して叶えられないからで、他人のことなんてこれっぽっちも考えていなくて、他人からしたらどうでもいいわたしの有用感を満たされないことにいらいらいらいらしている。依存している。

 

 誰かに埋めてもらいたい寂しさがあるのは誰かとの衝突の中で生まれたのか自分の中から生まれたのか、あるいはその両方だ。退屈なだけかもしれないしするべきだというしなくてもいいことへの圧迫感で嫌になるけどそれがなくなるとどうしたらいいかわからなくなる。本当だ、他人のことなんて何も考えてないな。誰かに優しくしてもらいたいだけに優しくするのはどうしたらやめられるんだろう。自分に余裕がないのに他人に与えようとするのと、自分にない余裕を他人に与えてもらうために先に優しくするのと、何が違うんだろう。どっちも中身がない。してもらったことの数を数えても寂しいだけなので今のわたしはダメだ

2/25

 女性ホルモンがアレなのでとても精神状態が悪い。イライライライライラしている。この時期に苛々していることは大抵後になって考えると大変どうでもいいことなので、おとなしくしているに限る。別に後になっても軽く苛々はするけど、脳味噌にダイレクトに不快感が与えられているようなこの気持ち悪い苛々はこの時期だけだ。妊娠とかしたら、情緒不安定で旦那さんどころか数すくない友達さえなくしそうなくらい女性ホルモンのやばさがやばい。never young beachを聴いてジャングルの奥に行こうとするももはやなんでこんなに辛いのに誰も支えてくれないの?ということで苛々し始める。

 ジョジョの奇妙な冒険を読み始めて3日、ドツボにハマっている。

2/17

 月曜日、浦和までたかが世界の終わりにを観に行った。苛々させるような演技に苛々して、愛されたいってどんだけ苦しいんだよと思う。愛されたいっていうのがどれだけ苦しくて、愛するだけで幸せだと思えるのにどれだけ自分のことを認めてあげないといけないのか考える羽目になった。いつかこんなことを考えなくて済むくらいに大人になれるのかと思っていたけど、映画に出て来る人たちはみんないい大人だったので、自分と向き合って肯定するのに必要なのは時間じゃないんだと思った。

 友達に会わない日が続いて、自分にとってそれが楽なのか苦痛なのかよくわからないでいる。と言っても一週間程度なのだけど、ほんの2年前くらいまではこんな長い休日のうち一週間も1人で過ごすなんて孤独で耐えられなかったと思う。恋人がいるからなのか、恋人とつながる上で対人関係について学んだ結果なのか、たぶんその両方だと思う。吉田修一のさよなら渓谷をやっと読んだ。小学生の時いつも一緒に図書館に通っていた友達に面白いよとしきりに薦められていたけれど、その時は、まあ今もそういうところはある、人に薦められた本なんてどうせ〜〜みたいに思っていて読んでいなかった。吉田修一の作品の中で唯一なんとなく読んでいなかったけれど、不意なきっかけで読んで、やっぱりわたしは女なんだな、と思う。たまにこういう作品に関わると、なんとなく自分が女であることを惨めに感じる。だからといって男になりたいわけではないけれど、性別が違う限り性差があるということをまざまざ見せつけられると、残酷な気分になる。というのは、昼に見た世紀の映像のユーゴ戦争で軍人にレイプされて妊娠した女の人の手記が流れたせいもある。力が弱かったり体が細かったり妊娠できたりすることから生まれるひどいことに対してできることが何もないことが自分の無力さを思い出させる気がする。こと自分の生育環境においてそれが顕著だった。さよなら渓谷はかなえが俊介を愛せてある意味で解決したけれど、現実には絶対あり得ないからエンターテイメントになるわけで、その差に絶望して終わった。

2/11

 友達のブログの最近のエントリーが消えていた。失恋に関する内容だった。祖父母も含めた家族に接するのが苦手で、どうしてもそこにある歪さに居心地が悪くなる。申し訳ないと思いながらも干渉に対する強い拒絶が消えないのは、別に家庭環境の悪化が原因ではなくて、もっと小さい頃から変わらない。強い拒絶を感じながらも義務感に従うことができなくて、そこに罪悪感が生じる悪循環は、きっと言葉でコントロールする側、される側がそうしているという意識を持ちながら他人と接するより他ないのだと思う。それでも感情をコントロールしたり、期待しないようにすることは言葉よりずっと難しい。他人の考えていることは、いくら距離が近くなったと思ってもわからない。自分の都合いい方に考えて気分を良くしたり、暗い方へ考えて感情が暴走したり、そういうことは人間関係において珍しいことではなくて、むしろ大人になるにつれて、それを長期的な視野でやらなければならないという課題が生じてくる。人に嫌われることや失敗することを恐れずに行動することはどこでも推奨されることだけれど、それでも人より上手く生きたいと思うし、そうできるような期待を自分にしてしまう。自分の寂しさを他人に解決してもらおうとしなくなっただけでも、わたしはこの半年間でよく学べたし、苦しみがなければそれを乗り越えようという意思や出会いもなかった。辛いことに真正面から立ち向かうことも、辛いことを上手に躱す力も、それにぶつかる時期によって使い分けられればいいと思った。

2/6

 家の光回線が繋がりません。うちはSoftBank光なのでSoftBank光のコールセンターに幾度か電話してるのですが、やっぱりだめなので、パソコン本体の方に問題があると言われ、TOSHIBAに電話するもルーターに問題があると言われる。必死で繋ごうとしてもどうにもならないので解約しようかと思っている。iPhoneテザリング機能が上手く動いてくれればそんなに支障はないなと思う。ネットが必要なのかもよくわからないと悩んでいたところに、高校の友達から一年振りに連絡が来て、何かしらの繋がりは必要だなと思う。今日は友達が浅草からわざわざ来てくれた。おしゃれなカフェでパンケーキを食べながら岡田将生の話とか最近見た映画の話とかをしていた。ステイ先が同じだった友達だから、夏休みのことを思い出して、きらきらした気持ちになる。知らない場所で知らない人と話したり知らないものを食べたり知らない気温の中で過ごしたりするのに足がかりがないと行動できないのは不便だ。友達は可愛くておしゃれで笑顔で、そんな子がわざわざ浅草から会いに来てくれることを嬉しく感じる。銀魂の実写版の高杉が堂本剛なので楽しみ。明後日の旅行も楽しみ。

 感謝の気持ちでストレスが軽減されるのは、今持っている証拠を見て安心できるからだと思う。今日も返信がすぐ来て嬉しかった、友達が会いに来てくれて嬉しかった、映画の話ができる友達がいることが嬉しい。あと銀魂面白かった。

2/5

 風邪をひいています。1時間半かけて会いに来てくれたの嬉しかった。うちに来ても何にもすることないのに。風邪をうつすようなことばっかりしてた。今週は二回も会えた。わたしはわたしのことを可愛いとは思えないし平均よりやや下くらいだと思っているけれど、だからこそ可愛い可愛いと褒めてくれる人がいることが有難いなあと思う。大したことはしてないけど、大したことをしなくてもなんとなく一緒にいられるのは素敵だな。